小学校低学年くらいの頃、親が留守の時に面倒を見てくれる近所のおばあさんがいた。「三階のおばちゃん」である。
実家のマンションの数階下に住む方なのでそう呼んでいて、近所付き合いがあって何かとお邪魔していたのだ。
初めて温かい珈琲を飲んだのもその人の家だった。せっかく淹れてくれたのに飲み方が分からなくて、スプーンでちびちびすくって飲んでた。コンポタか。
三階のおばちゃんは南大阪のコテコテした性格をしていて、今思えば孫のように可愛がってくれてたんだなと思う。
創価学会の熱心な信者であることも何も思わなかった。
それから数年経ってパソコンを使うようになった頃から、その人と出会っても挨拶ができなくなった。
父が死んだ時にも手を合わせに来てくれたが、ろくに会話もしていないし目も合わせなかったと思う。
今では学会に対して当時ほどの嫌悪感は無い。もっとヤバイ新興宗教はたくさんあるわけで、選挙の際の呼びかけがちょっと頭おかしいくらいで普段は普通の人たちである。
それに孤独死が騒がれるようになった現代で、地域のコミュニティ形成に役立つシステムと化していることは「あり」だと思っている。何も知らずその地域に入って来た人はかわいそうだけどね。
選挙の呼びかけと勧誘さえなければいいんだけど、それじゃ宗教にならんわな。
※今もご健在です
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